宮平勝哉先生は小林流について次の様に話されています。
沖縄小林流について
琉球王国時代に国王の武術師範として仕えた松村宗棍師は「武士松村」と言われ、当代随一の武術家であった。
この松村先生は、多くの高弟を育成されたのであるが、その一人に糸洲安恒師がいた。
糸洲安恒師は、門外不出の空手道を学校体育に取り入れ普及に尽力されたのである。その高弟だち、船越義珍、摩文仁賢和、当山寛賢らによって本土へ、屋部憲通、花城長茂、喜屋武朝徳、本部朝基、屋比久孟伝、知花朝信、徳田安文、大城朝恕、城間眞繁らによって県内に普及され、今日に至っている。
糸洲安恒師から知花朝信師へと継承された首里手を知花朝信師は、昭和八年に他の流派と区別し、伝統を守るため、沖縄小林流と命名された。沖縄小林流の基本形はナイハンチであるが、糸洲安恒師は従来の形を改良してそれを初段とし、二段三段を考案され、更に普及形として平安(ピンアン)五つの形を創作されたのである。
小林流は構えや呼吸法に無理がなく自然であり、又、力の取り方抜き方に特長があり、力の集中力と敏捷性が容易となる。一撃必殺の当身の破壊力を養成するため、マキワラの鍛錬は重要である。また、攻撃に対しても単に防御するだけでなく、打てば打ち砕くだけの威力を発揮することにより「攻防一如」の技法が体得できるのである。全日本空手道連盟が目指すのは、スポ-ツ空手である。その違いを一口で言えば、格闘技のボクシングに見られるように勝者は勝った瞬間に飛び上がって喜ぶシ-ンがあるが、相撲、空手、柔道ではそれがみられない。敗者の心情をおもんばかって喜びをかくす。これがスポ-ツと武道との違いである。
現在、沖縄小林流空手道協会(会長宮平勝哉)に所属している道場は県内で三十五を数え、海外県外にも多くの道場があり、世界各国に普及発展しつつある。
一九九七年八月二十日記
沖縄小林流空手道協会
会長 宮平勝哉